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ゲームに関する備忘録

【書評:ネタバレなし】三体はトッピングマシマシなカレーである

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三体には、SFファンの好物がこれでもかとぎっちり詰まっている。素粒子論、仮想現実、秘密結社、歴史に埋もれた事実、そして地球外生命体とのファースト・コンタクト。

 

洪水のように様々なアイデアが提示され、読者は驚愕し感動し、さらには底知れぬ恐怖を感じたりする。凡庸な作家であれば、途中で整合性が合わなくなったり、読者に胸焼けを起こさせるかもしれない。

 

例えばポークカレーにトンカツと鳥の唐揚げとエビフライとカキフライを載せた上に玉ねぎたっぷりのタルタルソースをぶちまけたりすれば、大概の人は途中でスプーンを持つ手を止めてしまう筈だ。ポークカレーなのにトンカツを頼んで「豚がかぶってしまった」ロンリーな食通のようにカウンターの前で独りごちて、目の前の店員さんにわかってくださいよ、二つで十分ですよといわんばかりの目つきで見られるだろう。

 

これだけトッピングマシマシでも、不思議と完食できるのが三体だ。それぞれの具材が絶妙に溶け合って、三体でしか味わえない世界観を作り出している。何故それができるのか、それはルーに隠し味があるからで、端的に言うと「筆者の将来に対する楽観さ」であるように僕は思う。

 

経済成長によって自分の生活はより良くなる。科学技術の発展は人類の飛躍に貢献する。

 

筆者である劉慈欣氏は1963年、中国の山西省生まれ。折りしも1966年から約10年間続く文化大革命を幼心に経験し、その後経済発展とともに成長してきた。そんな彼らの世代の人々にとっては、高層ビルが立ち並び、スマートフォンが普及し、信用スコアリングによって管理された現代中国の社会―破産者は新幹線に乗る権利すらない―は、さながら魔法がかかったように見えるだろう。たった数十年で急速な発展をしたのだから。

 

劉氏のつむぐ文章には、隠しきれない楽観さがそこかしこに含まれているように僕は思う。わかりやすい形では、登場人物の一人に姿を変えて。その人物はインテリが壁にぶつかり絶望するのをわき目に、本能的に持った楽観さを発言や行動に発露させていく。それが細い一本の筋となって、作品全体を貫いている。

 

この楽観さは、我々日本人には失われたものなのかもしれない。失われた20年、ゆとり世代、さとり世代。無邪気に将来を信じることが出来る人間は、この日本社会では少なくなっているのだろう。その善悪をここで議論するつもりはまったくない。

 

ただ一つ言えるのは、三体のような作品が生まれる土壌は、中国にあって日本にはない、ということだ。

 

もしSF好きを自認する方なら、是非とも三体を手にとって欲しい。トッピングマシマシのカレーを三口ぐらい食べてみたら、この作品は最後まで食べるべき傑作である事がわかるはずだ。