Shu SasakiがセリエBのSPAL監督に就任。
SPALの理事会は、無名かつ実績のないShu Sasakiという人物を新たな監督に指名するという、驚くべき発表をした。
今年35歳となるShuは今朝、本拠地であるパオロマッツァにてファンや記者に紹介された。彼はすでに新たなチャレンジの準備が出来ており、数週間で関係各者の信頼を勝ち取る事を高らかに宣言した。
地元有力紙の伝えるところによると、彼はブンデスリーガ二部のU21チーム監督を務めた経験があり、若手の育成に定評がある。新規昇格組のSPALとしては、有望な若手を育て高値で売るというスタイルを確立したいのだろう。
(Shuの能力値。監督作成時にタイプを選ぶことが出来ます。Shuの場合は若手指導に長けているとの設定から上記の通りに)
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Shu Sasakiこと佐々木修一は、いまから10年前、勤め先の繊維商社の部長に辞表を提出した。彼が25歳の時である。
Shuはもともと年代別代表に呼ばれるほどの選手だった。中盤の底でゲームを組み立て、ディフェンス陣に指示を出すその姿は「日本版ズボニミール・ボバン」と言われたほどである。
しかし足首の怪我を理由に彼は現役を引退。失意のうちにあった彼は、フットボールから距離を置くことを決め、当時所属していたプロチームの斡旋で関西の繊維商社に就職した。
サラリーマンの彼にとって、同期や後輩が世界で活躍する姿は誇らしかった。
梅田のとある居酒屋。ありふれたチェーン店のその一角に、大きなディスプレイが置いてある。画面には日本代表の試合が映される。画面の中で躍動する選手たちに、カウンターに座る女性客が声援を送る。「セットプレイじゃなくて流れの中で点を決めないとダメだ」サッカー談義に花を咲かす中年のサラリーマンは、中ジョッキを飲み干してそう言った。同じ席の同僚は明らかに何か言いたそうである。
修一もディスプレイを見つめる一人。ウイスキー(安酒だが何故か彼の舌に合った)片手に選手の動きを追う。かつて同じピッチで一緒に戦っていた仲間たちの活躍は、いつ見ても嬉しかった。
だが、それと同時に彼の持つ「夢」は抑えきれないくらい膨らんでいたのだ。
「彼らのように世界で活躍したい」
そう思った彼はサラリーマンを辞め、ドイツへと渡る。そこでコーチライセンスを得た彼は、ユースチームの監督をしながら、欧州サッカーの表舞台へと登るタイミングを虎視眈々と狙っていた。
ちょうどその時、彼にSPALより契約オファーが舞い込んだのである。
SPALことSocietà Polisportiva Ars et Labor 2013は今季にセリエBへと昇格した、かつてはトップリーグに名を連ねた古豪である。また名将として有名なファビオ・カペッロや、ブレシアでバッジョ、グアルディオラ、ピルロを指導したカルロ・マッツォーネも選手として所属していたこともある。
Shuに求められるのは降格の回避である。
しかし彼は、「セリエB中位でのフィニッシュ」を宣言した。
メディアの中には彼をあざ笑う者もいた。降格候補の最右翼かつ、全く無名の監督を雇ったSPALに、残留する力すらないであろうと。
「あなたにはこれいった高い名声もなく、Spalの監督就任には驚きの声が多くあがっています。あなたのようなほとんど無名の監督がこのようなクラブを本当に率いていけますか?」
「評価が影響するとは思わない。名監督と呼ばれる人物でも、最初は無名だったのだ。」
メディアの予想によるとSPALは降格圏に近い18位。
果たしてShuは、「労働と芸術」という名前を与えられたこのクラブで、何を成し遂げるのであろう。
彼の世界への挑戦は、イタリア中部の都市フェラーラにて今、静かに始まったのである。